「宮廷のみやび」展

みうらじゅんや、はな達が静かな仏像ブームの流れを作っている。博物館に出かけてみた。適当に調べたつもりだったが、現場に着いたらどういう訳か仏像はいなかった…。そこで予定を変更して「宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝」という特別展を拝観することにした。近衛上奏文のあの近衛家である。

展示物は屏風絵や書簡などが中心で、とても地味なものに思えたが、館内は大盛況だった。それはちょっと信じられないくらい。事前に派手な宣伝などなかったと思う。どこにもそこにも人がぎっしりで、無理に割り込んでいくか、じっと我慢して順番を待っていないと展示物が観られない状況だった。皇族や貴族、伝統文化というものは想像以上に巾広く人々に支持されているようだ。

以前もこの日記に書いたと思うが、デジタル化されたデータというもの自体は劣化しないが、これを伝えるフロッピーやCDの寿命は数十年だ、と言われている。私は古美術に明るくないが、紙に書かれた幾つかの展示物からは、数百年の時を越えて力強いパッションが伝わってきた。紙は偉大なり。あなたは紙を信じますか。

最後の方になると、衣類や人形、日本刀など比較的親しみ易い展示物が並んでいた。ぼーっと刀を眺めていると、黒い服を着たおじさんが突然解説を始めた。おじさんによれば、ここにある数本の刀はそれほどのものでもない、ということらしい。それでも「向こうの端から三本目の刀はなかなかのもの」なのだそうだ。刃文に照明を映してみると、雲間からお日様が覗いているように見えるのだ、と言う。その刀の所に行って、言われた通りに腰を屈めてみた。確かに他の刀は「ここからこっちが刃文です」というようにくっきりと分かれているが、その刀の刃文は霞のように透けていて、刃に映った電灯がお日様のようで美しかった。思わず「おおーっ」と声を上げてしまった。隣で様子を見ていたらしいおばちゃんが「な、何が見えるんですかッ!!」と聞いてきた。とっさのことで、アドリブのきかない方なので「#&%$?!*+」という説明になってしまった。

おじさんによれば、近衛家に伝わる一番すごい刀は国宝になっていて、別棟の常設展にあるのだそうだ。閉館時間になってしまったので、これは次回のお楽しみということになる。同級生のヨシナリ君にレッドツェッペリンを初めて聴かせて貰った時には、やたらと間奏が長くて、感情移入しにくい歌手のいるバンドとしか思えなかった。後に「そういう耳」になってみれば、精密さとふてぶてしさの同居する楽曲群として楽しむことができるようになった。検索を出発点とするインターネットから少し離れてみると、偶然の出会いの機会がみつかるものなのかもしれない。