津波怪獣の恐怖東京大ピンチ!

敬愛するマイミクシィ、アトラス塩浜選手が、帰ってきたウルトラマンにおける言葉狩りについて日記で取り上げている。デジタルリマスターされたDVDでは、丘隊員の「シーモンスは四つ足の雌怪獣」というセリフがカットされているらしい。テレビ再放送の際にコードに抵触したのだろうか。

これとは全然関係ないが、西川のりおがカメラのケーブルにわざとつまづき、「放送コードに引っかかった〜!!」と叫ぶギャグが私は大好きだった。

作品では、シーモンスは四つ足の雌怪獣で、シーゴラスは二つ足の雄怪獣だ、という設定になっている。どうして雄と雌とが逆ではないのだろうか。これはおそらく種の保存に関する事情なのだろう。円谷プロもなかなかやるわね。

実は、同じエピソード中に、他にも削除されたセリフがある。むしろこちらの方が有名だ。夫婦怪獣に襲撃された漁船の船長(扮するは小林昭二)は瀕死の重傷を負う。彼が事前に録音していた「シーモンスの唄」を解析しているMATの上野隊員が、「南洋の土民の唄みたいだな…」と呟くセリフでの「土民」がカットされていた。この「シーモンスの唄」にはちょっとした仕掛けがある。上野隊員の言う通り、全く意味不明な唄なのだが、歌詞を紙に書き取り、逆さまに読んでみると、

もう日がくれる
向こうは佐渡
鳴け鳴け、シーモンス

というスタッフのお遊びが判明するのである。円谷プロもなかなかやるわね。

少年やりちゃんが愛聴していたサントラカセットには、効果音や劇中セルフとかぶっていない「シーモンスの唄」がフルコーラスで収録されていた。そして、状況説明の為に、問題のセリフ「南洋の土民」を含むドラマ音声もしっかりと収録されていたのである。それだから、テレビ再放送の際にはアレッと思ったものだ。

「四つ足」や「土民」が放送上適切か、不適切か、という話は、脇に置こう。一般論として、不特定多数の目や耳に触れる放送内容に自主規制の規準が存在すること自体は、必要なことだと考える。一方で、有料放送や、市販されるビデオ、DVDなどのソフトにまでその規制が準用される必要はなかろう、という気もする。これは対価が発生するか、否かの違いではなく、視聴する者が敢えて観ようとしているかどうか、という意味である。

インターネット上の言論に規制が及ぶことについて反発を表明する人はとても多い。一方で、私には社会全体が、とても便利で有用なインターネットを、インフラの一環と位置付けて、アクセルを床まで踏み込んで、日々普及に努めているように見える。社会が、インターネットにいつでも、誰でもアクセスできることを究極目標とするのなら、そこに表現に関する何がしかの規範が必要になる筈である。いや、そもそも放送コードすら、元々必要ないものだよ、というのであれば、それはそれで一貫した論理ではあるだろう。

放送免許を剥奪されないが為の放送局側の自主規制という形でテレビやラジオの秩序は保たれている。インターネットの場合には、個人が不特定多数への情報発信の主体になり得る。ネット上の言論に秩序が保たれていれば、個人の良心に期待して性善説に立脚することも可能だ。現在規制の機運が高まっているとすれば、原因を作っているのは一体何処の誰なのかは火を見るよりも明らかな訳だが、当の本人と目される人々ほど率先して「ネット規制ケシカラン」と主張していたりするので、とても面白い。普段「権利と義務を履き違えるな」などと言っているような人達が「言論の自由を守れ」派に転向したりするさまも実に興味深い。