捕虜虐待と国籍法

イラク戦争に関するNHKの番組を観た。全裸のイラク人捕虜の前で記念撮影をした米軍女性兵士への初のインタビューだという。この問題は、他の兵士の内部告発で明らかになったものだ。告発した兵士の実名は、ラムズフェルド国防長官(当時)がテレビ番組で「勇気ある行動を称える」と言い添えて明らかにされた。実際にはどうなのか分からないが、番組ではこれが「告発への報復措置である」という伝え方になっているように思えた。軍の調査により、告発した兵士が故郷に帰ると殺されてしまう可能性が高いと判断された。内部告発は、生死を共にした仲間を裏切ったことになるらしい。告発の代償として彼は故郷を失ってしまった。

番組の後半、インタビュアーは女性兵士に「なぜ微笑んで撮影に応じたのか」と迫る。兵士は「戦場では、それはありふれた光景だった。とりたてて特別なことではなかった」と答えた。視聴者の立場である私は二つのことを考える。一つには、環境に流されて価値観が揺らぐのはよくない。いつでも「なぜ微笑んでなんかいるんだ」と声を上げられるようでいなければいけない。二つ目。戦場の外でそれを言うのは、実は容易いことだ。自分の身に置き換えて、考えてみる必要がある。

フセイン大統領の圧政から人々を解放する為に女性兵士は戦地に赴いた。イラク戦争の是非はともかくとして、彼女には彼女なりの正義の心があり、生死の境目の特殊な環境下で、これぐらいのことは当たり前だ、という気持ちがあったのではないか。

国籍法の改正案が動議され、ネット上でも騒ぎが加熱している。mixiのあるコミュニティに「法案推進派の売国奴河野太郎の日記はここだ」という趣旨のトピックが立った。こぞって襲撃しよう、皆で制裁しよう、という訳である。河野太郎は公人だから、その言動に対し、一定の批判は甘受すべきかもしれない。私がイヤな感じがしたのは、明らかに「襲撃者たち」が楽しそうだったことだ。彼らはイラクの女性兵士のように、一方では正義の心に燃え、もう一方では楽しそうに微笑んでいた。ほどなく河野の日記はコメント欄を閉じたらしい。「襲撃者たち」は玩具を取り上げられた子供のようにがっかりしていた。

トピックに「これがタカ派の作法なのか。coolじゃないね、ちっとも。」と書き込んでみた。しばらくするとそのトピックは消えてしまった。他の理由があるのかもしれないが、私の書き込みに応えてくれたのなら、少しホッとする。

国籍法では、親の結婚を国籍取得の要件としていたが、これを父親の認知でも可とする改正案が問題視されている。「DNA鑑定を要件としなければ、一人で何百人でも偽装認知ができる。不正に国籍を取得した外国人に日本が占領される。」ということらしい。何百人もの子供の名が戸籍に表示され、その子供たち全員に養育費支払いの義務が生じるのだが、本当にそんなことをする人がいるのだろうか。きっと届け出ても不審がられて窓口に受理されないだろう。役所に証拠が残る、ということは犯罪者として一番避けたいものなのではないだろうか。日本を乗っ取るような偽装日本人を一人捕まえたら、その義兄弟も芋づる式に検挙されてしまうのだ。日本を乗っ取る為に子供たちに革命学校でもコッソリ開設するのだろうか。コミンテルンが運営していたクートベみたいなやつ。日本で暮らしていたら、わざわざ革命を起こしたりするよりも、ゲームで遊んだり、普通に就職したり、結婚したりしたくなるんじゃないだろうか。忍者ものに「草」というのが出てくるが、随分と悠長で壮大
な計画である。

「盗聴法案で日本は戦前に戻る」とか、「共謀罪創設で居酒屋談義でも逮捕者が出る」とか、「人権擁護法でテレビアニメが日本から消える」とか、ネット上の政治ネタはヒマ人の手慰みだ、ということがよくわかる。もう最近では免疫ができたみたいだ。