やりちゃん2chデビュー

人権擁護法案反対運動に関する日記には、mixi、一般ブログともに反響があった。私の基本姿勢の再確認を含めてご紹介することにする。

私はこの反対運動は、ちょっとおかしいんじゃないか、という日記を書いた。これに対して「あなたは反対運動の真意を誤解している」という指摘が数件寄せられた。私の方では見たまま、聞いたままを書いたまでなので、そのように感じるのであれば、人権擁護法案反対運動は真意が誤解されるような展開をしている、ということを示している。運動方針が転換されれば、この日記も有効に活用されたことになるだろう。また、この日記にはおよそ森羅万象について、私がどのようなものの感じ方をするか、についてのヒントが散りばめられている。「やりちゃんがまたわけのわからないことを言っている」と評価するのも一つの判断である。

一般ブログの方で、「別冊宝島の『同和利権の真相』を買って読め」と偉そうにコメントを寄越した者があった。あれは確か文庫化されている筈だが、オリジナルのやつが実家に転がっていると思う。私の見た限りでは、「人権擁護法案反対運動の主眼は同和利権の粉砕だ」とするオピニオンをついぞ見かることはなかった。私は千葉県在住のペンキ屋で、似非同和組織とのしがらみは皆無だ。意識的に目を背けたという事実は無い。私に対して「愚もつかない人権擁護法案反対派運動の中から同和利権に関するものだけをフィルタリングせよ」という作業を求めるよりも、同和利権粉砕を主眼とした運動を展開するよう働きかけた方が論理的だ。私個人には法案の可否を決定する権限は無いのだから。

mixiで、「人権擁護法案反対についての日記を書こう」というキャンペーンがあった。mixiニュースに関連する日記を書くと、凄まじい勢いで足あとがつく。このことに着目したのだろうが、キャンペーンのトピックを覗くと、人権擁護法案とは無関係な芸能ニュースなどから引っ張って日記を書いた者達が、「こんな話題で書きました」「あんな話題で書きました」と競い合っていた。ROM人という主催者は「お祭り気分で楽しもう」とこれを煽っていた。面白半分なのか、と書き込んだところ、報復として「痛い野郎だ」と2ちゃんねるmixiのIDを晒されてしまった。2ちゃんデビューは先日の盗作事件に続く初体験である。盗作といえば、普段から見識が高いと思っていたマイミクさんが、人権擁護法案反対派の代表的なHPの文章そっくりな記事をブログに載せていたこともあった。人権擁護法案には、知性の介在しないところで人間を突き動かそうとする何かが潜んでいるのかもしれない…。その意味で象徴的な書き込みを以下にご披露する。mi
xiの参加資格が18才以上というルールは本当に遵守されているのだろうか。

>人権擁護法案の良いところをおしめしくださいませ。
>たとえば 創価学会が日本を支配し池田大作先生が
>王になれるとかよろしくお願いします私たちの知ら
>ないことをご存じなようですので

この他にも、「人権擁護法案が可決されるとマンガやアニメが消えてなくなる」というようなブログが無数にある。たった一つの法律で日本に王政がしかれたり、マンガが消えたりするというのなら、むしろこの目で是非とも見てみたいものだ。

「お祭り気分で楽しもう」という扇動を見て、私はサウンドデモを連想した。「政治活動だってみんなで明るく楽しんじゃおうヨ」という発想によるものなのだろう。彼ら自身が楽しむのは大いに結構なことだ。それを見た私は「ふざけたやつらだ。きっと主張内容だってろくでもないものに違いない」と判断を下す。「いやいや、待て待て、隠された運動の真意がきっと何処かに…」と目を凝らす人は極めて少ないのではないだろうか。それでは困るというのであれば、他ならぬ運動体の側が違ったアピール方法を考えるべきなのである。余談になるが、サウンドデモエスカレートして、定められたルールを破った場合に逮捕者が出るのは当然のことだ。近くにいたら、迷わず私は警官に協力する。

ともあれ、敬愛するマイミクシィ魯殉さんの指摘を重く受け止め、当該法案がなにがしかの瑕疵、欠陥を孕んでいるのであろうことを私はここに認める。可能であれば、反対運動参加者の大半が異民族を罵倒する権利を守りたがっているにすぎない、という私の観測も検証してみて欲しい。現実問題として私はそれを体験した。先日の日記にわざわざ特高に追われた共産党員や青年将校の話題を出したのは、右が国体から遊離していく虚しさを強く感じた為である。極右と極左は似通ってくるもの、というのはよくある常識のウソだ、と私は信じている。そこには作法の違いがあって然るべきだ。