税務共同化批判を糾す

京都府と府内25市町村が行政のスリム化を図る為に、広域連合を設立し、課税、徴税業務の一元化、税務共同化を計画している。これが実現すれば全国初の取り組みになるとのことだ。この動きを京都府長岡京市市議会議員の小原明大(日本共産党)が自身のブログで厳しく批判している。

市議会、府にモノ申す!
http://blog.goo.ne.jp/ohara1095/e/f394a8d6cbe38fdc59e9b82b1bf0f44a

>税務共同化というのは、府副知事(総務省出身)が、
>総務省へ帰ったときに自慢するため、超拙速に市町村
>に押し付けようとしているものです。

小原による批判の要旨は次の通り。

1.個人情報、誰が責任持つの?
長岡京市の場合、30人で扱っているシステムを690人で扱うようになるので個人情報の漏洩が懸念される。
・広域連合は、府でもなく市でもない。責任の所在が不明確だ。
2.市民サービスが著しく低下
・532人の窓口職員が200人になる。長岡京市では29人が11人になる計算だ。毎年3,000人の市民税の申告、16,000件の証明の発行をさばき切れまい。
・税とは、国民の義務である一方、常にその適正さ、目的の妥当性、執行ぶりの納得を得る必要のあるものだ。京都府は市町村の対応のキメ細かさを舐めている。
3.滞納即差し押さえの恐怖
長岡京市には市税の分割納付者が950人いる。
長岡京市の職員は「こんだけしか払えません」となれば、「じゃあ先に国保払ってもらいますわ。保険証なくなったらあかんし」というような相談に応じている。
・広域連合では分割納付には応じず、現行の府税徴収のように「ビシバシ」差し押さえを執行するに違いない。

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小泉政権時代より、特区を設けて様々な試みが行われるようになった。京都で計画されている税務共同化が順調に推移すれば、この動きは全国に広がることだろう。実に画期的なことである。私の勤務していた金融機関はバブル期の不良債権処理により経営が悪化、無配に転じ、ついに政府から公的資金の注入を受けた。業務改善命令の下、真っ先に着手したのは口座振替や為替業務の事務集中化、一元管理だった。十数年も昔の話で、民間では特に珍しくもない企業努力が行政においては上記のような抵抗に遭うらしい。皮肉でも何でもなく、純粋に驚く。

1.
システム、情報の共有は税務共同化のキモであり、これが否定されれば実現はあり得ない。両者は不可分だ。一般的に、電子化された個人情報の漏洩はCD-R、フラッシュメモリー等のメディアへ複製の上、外部に持ち出した際に発生する。必ずしも人数の問題ではない。長岡京市職員と比較して、京都府と他の24市町村職員のモラルが著しく低い場合を除いて、システム上の防衛策に検討の余地が充分あるに違いない。そもそも30人→690人という数字を見て「そりゃあ大変だ」と考える者はあまりないのではないか。2桁も3桁も違うのならインパクトもあるのだろうが。

小原は広域連合を第三セクターのような責任の曖昧な組織であるかのように印象操作している。広域連合は地方自治法を根拠とする組合組織で、広域連合長、広域連合議員は直接、間接選挙により公選される。意図的であれば著しく悪質で、知らなかったのなら不見識に過ぎる。あえて言うなら、責任の所在は公選された広域連合長にある。

2.
最繁忙期の必要人員を是が非でも通年で死守するぞ、という方法論は最早民間企業ではあり得ない。これを広義の市民サービスとも考えない。小原は異端児、不良議員を自認しているとのことであるが、言葉遣いが今風なだけで、私には極めてオーソドックスな日本共産党員に思える。

3.
資金の充当先を窓口の職員に委ねることが常に市民の利益に適うとは限らないのではないか。全く逆の場合もありうるだろう。寧ろ両者には一線が画されて然るべきなのであって、このような役割を期待していては行政は肥大化する一方だ。前掲の例のような場合には、家族、親類、職場の上司、寅さんに出てくる「御前さま」のような存在と、こころを開いて相談できる社会であるべきではないだろうか。個人間の紐帯が分断され、原子化した社会は一方へと向かい易いものだ。