保守思想とファンタジー

「悪魔とダニエル・ウェブスター」という短編小説がある。貧困に喘いでいた時期に悪魔に魂を売ってしまった農夫が、契約の履行を目前に控え、実在した政治家であるダニエル・ウェッブスターに助けを求めるというもの。どうということのないストーリーだが、作者のスティーブン・ビンセント・ベネーの本職が詩人ということもあり、ダニエルの立ち振る舞いの描写に、ドラマ「大草原の小さな家」や映画「我が谷は緑なりき」のような古き良き保守思想の香りがする。政治的には、悪魔が、「お前達が為したインディアンへの所業などを、いつでもすぐ傍で見ていたぞ」などとアメリカの市民権を主張するところが興味深い。

ネット上でテキトーに検索していたら、この作品が、1941年に「悪魔の金」として映画化され、数年後には日本でも一般公開されていたと知った。音楽のバーナード・ハーマンアカデミー賞を獲っている。この人は、私のフェイバリット作品「地球の静止する日」の音楽も担当している。更に2,000年代に入り、"Shortcut to happiness"という題名でリメイクもされているらしいのだが、制作費のトラブルでお蔵入りになった、とかならないとか、情報が錯綜していて、日本で上映されたのかどうかは不明だ。ダニエル・ウェブスターを演じたのはアンソニー・ホプキンスだそうだ。原作のイメージではジャック・ニコルソンでもよかったのではないか、という気がする。

何と言っても、主人公の農夫は悪魔との契約書に血判をついてしまっている。ゆえにダニエルの弁護は劣勢を余儀なくされる。クライマックスで悪魔は、これも実在した犯罪者、ならず者の陪審員を12人、地獄から招聘する。明け方まで休みなく続く審理で、彼ら陪審員のギラついた目を見ているうちに、ダニエルは、義憤、怒りの感情をベースにした弁論では、彼らを説き伏せることはできないと悟り、契約を破棄することにより、この後の農夫がいかに豊かな暮らしをおくることができるか、人の営みの尊さとは何か、について語り出す…。続きの気になる方は、ちくま文庫の「天使と悪魔の物語」というオリジナル・アンソロジーをご覧下さい。絶版になっているようだが、古書店やネット・オークションでは入手可能だ。

ダニエル・ウェッブスターについて調べてみると、共和党の源流にあたる連邦党に所属していた議員のようだ。以前から、チャールズ・インガルスは「歩く共和党」みたいだ、と思っていたが、今月の月刊「諸君!」にはドラマと大統領選挙の関係が省察されていて面白い。昨今の日本では、左翼勢力の挑発に乗って歴史上の一事象を精密に研究したり、異民族を排斥することに血道を上げることが保守主義であると考えられているらしい。私にとって保守思想というものは、第一に気品があり、もっともっとスケールがデカくて、ワクワクするようなものの筈なのに、何とももったいないなぁ、と感じる。短小軽薄化は電化製品だけで充分だろうに。

例えば「尾崎行雄と鬼」などという黒澤映画があったら、さぞ見応えがあったことだろう。