人間の條件

映画「人間の條件」は、私の生まれる前の作品だ。全9時間六部構成で、戦争と人間の姿を描き出す超大作にして意欲作である。小学生の頃だと思うが、数日間かけてテレビで一挙放映されたことがあった。父親がかじりついていた記憶があるが、今では深夜の放送も考えにくい。

第一部では、理想主義者である主人公・梶(仲代達也)が、満洲の鉱山で労務管理の任にあたり、苛酷で凄惨な現実に対峙する。増産運動に際して、鉱山は関東軍から中国人捕虜600人を「特種工人」として引き受ける。貨物列車のコンテナを開けると、仮死状態の捕虜が雪崩のように溢れ出す場面には慄然とする。CGなどではなく生身のエキストラによる撮影である。いろいろな意味で現代では再現不可能だと思う。

観ていて感じるのは、理想主義者・梶のよき理解者である沖島(山村聡)の存在感の大きさである。山村聡は、東芝日曜劇場やら橋田壽賀子プロデュースによる一連のドラマでの落ち着いた父親役の印象があるが、本作では「ごくせん」や「ROOKIES」みたいに殴ったり、殴られたりで、私にはこちらの方がずっと逞しくて美しく思える。人間を綺麗に撮りたいのなら、やっぱりモノクロームなのだろうか。淡島千景演ずる女郎・金の放つ妖しさも、白黒映画ならではという気がする。

私には、ミクシィやブログに謳われた理想論は、最初から現実主義者の心を動かそうとはしていないように思える。むしろアリバイ造りのようなものだ。その意味で、梶も沖島もいない。右も左も、閉じられた身内だけで「そうだよな、うんうん」と確認し合っているに過ぎないように感じる。

悲観している訳ではない。彼らの不在は、現代の日本に、満洲の鉱山程の苛酷な現実がないことを示している。今の所は。