アイドルや芸人は劣化したか

根強い人気を誇る「きっこのブログ」が最近のアイドル歌手やお笑い芸人を槍玉にあげている。私よりも年下のくせに、早くも「近頃の〇〇ときたら」という若ババァモードに突入したようだ。

昔のアイドルは、とりあえずレコードを出さなければ、カッコがつかなかった。木之内みどり風吹ジュン岡田奈々たちの歌が、子供の頃からカラオケ慣れしている今のアイドル達の実力を凌ぐとは到底思えない。好みの問題が残るだけだ。

きっこは、山本高広も叩いているが、彼の「織田マネ」には、今や裸の王様となった俳優に対する批評が込められている。昔のモノマネこそ、判で押したように森繁の「知床岬」や森進一の「おふくろさん」一辺倒だったのではないだろうか。比較的新しめでは、フリオ・イグレシアスのマネなんてのもあったが、似てない上に面白くない、と少年やりちゃんは怒りを覚えたものだ。

「最近の芸人」と一くくりにできない程、いろいろなものが出て来ている。はっきり言って、ビートたけし島田紳助が前線にいた頃よりもレベルは高いと思う。フォーリンラブのようなスタイルは存在しなかった。

きっこは、テレビ放送のデジタル化を「放送する側の勝手な都合」と斬ってもいるが、むしろメディア側は行政にコスト増を強いられているのであり、とんだお門違いだ。このような無知は、とても見苦しい。また、彼女は自分が勝手に行った極めて少数を対象とするネットとテレビに関するアンケートの結果を「"指針"にはなると思う」と豪語している。おそらく"指標"と言いたかったのだろう(それでもまだおかしいが)。彼女が日頃小バカにしている麻生太郎のテイストがにじむ誤用だが、パロディのつもりか。

きっこは、廃刊になる雑誌が多いことを根拠に、新聞・雑誌などの活字媒体がインターネットにとって代わられる、一方でAMラジオは存続する、などともっともらしい予測をしている。技術革新を手放しで礼讚する実に左翼チックな発想は結構なことだが、雑誌の浮き沈みが激しいのは、何も今に始まったことではない。毎年物凄い数の雑誌が生まれては消えていく、という話を中学生の頃にラジオで聞いた。ラジオの帯番組のちょっとした話題にうってつけらしく、数年に一回はこのことを耳にする。きっこはおそらく偽ラジオファンなのだろう。新媒体が既存メディアを常に凌駕するのなら、活字はテレビ・ラジオにとっくに滅ぼされている筈だが、21世紀に至っても両者は併存しているじゃないか。寝言は寝て言うものだ。

そもそも「きっこのブログ」自体が活字メディアであるナンシー関の一連のコラム群のエピゴーネンではないか、と常々感じていたが、検索してみると案の定、きっこはナンシーへのリスペクトを表明していた。

「新聞とテレビが見捨てられる日」
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2008/12/post-6f23.html