やりちゃんの呪い

5年程前、H田という男に、一緒に仕事をしないか、としつこく誘われたことがある。以前の勤務先に在籍していた人物だ。少なくとも怪しい者ではない。人手が足りないらしく、こちらの仕事中に何度も電話をかけてよこした。大抵の人は収入が増えるという話に興味を持つのではないだろうか。その企業は、建材の一部をリサイクルする独自工法で業績を伸ばしてきた住宅施工販売会社という触れ込みだった。コンクリート造の丈夫な戸建て住宅を廉価で供給しよう、という話には夢があるようにも思えた。

社長面接ということで、都内のオフィスを訪問した。ニコニコしたH田が私を出迎えた。ブロードバンドを利用して全国数箇所の営業拠点の長がテレビ会議を開いているというようなことをH田は案内した。H田はその会議の為に週に一度、千葉から東京に通っているらしい。便利なのか不便なのかよくわからない。

一転、面接での社長は終始やたらと不機嫌だった。私が理数系の学校を出ていないことや、金融機関に10年在籍していた経歴を問題にしていた。既に建設業に従事して数年が経過していたが、「あたふたと電話で職人を手配しただけで現場を納めたつもりなんだろう」と初対面の私をなじった。何かがおかしい。H田が「門外漢が強引に自分を売り込みにきた」と伝えたか、社長がそのように思う程、何も事前情報を与えなかったか、のいずれかだろう。面接中のH田は完全に沈黙を保って窓の外を見ていた。常識的にはガラスの灰皿やら花瓶やらを叩き割っても許されるようなシチュエーションだったが、「捨てゼリフは吐くなよ」が我が家訓なれば、黙ってオフィスを去ることにして、決して解けることのない呪いを社長とH田にかけるに留めた。これは効かないことの方が多いが、たまに大当りする。

先週末に携帯電話のアドレス帳がいっぱいにならないよう整理していたところ、H田の部下のK藤を処理する順番が回ってきた。真面目で仕事熱心な中年女性だが、ぽっちゃり体型ではないので、私にとって、性的には無価値だった。「事件」の直後にH田を削除したが、K藤は人畜無害なので、なんとなく残っていたのである。自然と「そう言えば、あの会社どうしただろう」と思い、ネットで検索してみた。2年前に35億の負債を抱えて倒産した、という結果が出た。やりちゃんの呪いはクリティカルヒットしたようだ。このことを私に知らせる為にK藤のデータは残っていたのかもしれない。消去した。「あの会社」は、千葉県内では、いわゆるミニ造成をした宅地に、例のコンクリート住宅の乗せて分譲するスタイルをとっていた。用地取得費用が膨張するうちに資金繰りが悪化したということらしい。今、そこのあなたが思った通り、耐震偽装問題の影響が致命傷になったようだ。H田から「予習教材」として渡されていた社長の著書には、顧
客第一主義が高らかに謳われていた。子会社の売り上げを水増しして金融機関から金を引っ張ることは、被害者を増やす結果につながるので、到底顧客本位の発想とは言えないのではないか。

私の心の中で一つのことが片付いたが、案外あの社長は、名義を変えた隠し財産か何かで不自由なく暮らしているのかもしれない。世の中そんなものだ。

以前にも書いたことがあるが、シティグループ日興コーディアルグループを傘下におさめて再進出をかけてきたことを私は苦々しく思っていた。市場を活性化したいからといって、恣意的な証券の販売により国外退去処分になった会社が涼しい顔で帰って来ることが容認されるのは許せなかった。呪いが通じて、シティは凋落し、日興は買い戻された。

朝鮮人による拉致問題の集会で中川昭一は、多忙を理由にスピーチの順番をトップに変更させ、「お先に失礼」とばかりに中座していった。クールビズはよいとしても、なぜ襟を立てているのか。つくづく失礼な人物だった。呪いが通じてあの有名な酩酊記者会見になったと勝手に思っている。

私は関与していないが、NHK防衛庁のドンと呼ばれた会長や官僚も最後には吊されることになった。自分の存在がちっぽけなものに思えるような無力感に苛まれても、辛抱強く耐え忍んでいれば、「猛き者も終には亡ぬ」ということもあるのではないか。加藤登紀子の「生きてりゃいいさ」でも聴こう。あれはいい歌だ。