日本共産党ブルース

マイミクシィ小原市議(京都府長岡京市)のブログが賑わいを見せている。

おっはー
http://blog.goo.ne.jp/ohara1095/e/a29e5f7df50923163538b11ad602933a

コメント欄に登場する、キンピーさんは、党員意識の希薄なクラブ活動の幽霊部員みたいなのを増やすばかりでは意味がないのではないのか、と問い掛けた。福本イズム、山川イズムの時代から連綿と続く革命政体の抱えるテーマだ。やり取りが進む中、党員と思われるANTONIOさんが、こちらはこちらでやりますのでご心配なく、外の人には関係ない、というような切り返しをした。これを言われてしまっては、勝負はあったも同然だ。ANTONIOさんは、どうにも誤っているようであれば、その時はその時でキンピーさんに頭下げます、とまで言い添え、余裕シャクシャクだ。以降、惰性のような流れが続く。日本共産党が掲げる政策、主張が素っ頓狂なものであれば批判されてしかるべきだ。事実、そのようなことはしばしばあるし、私も日記に書いたことがある。しかしながら、運動方針、内規の運用等については、内政干渉はやめてください、の一言で一蹴されてしまう。キンピーさんの踏み込んだ批判は、日本共産党の存在意義への一定の理解、一定の期待がにじむものだった
が、このあたりが党や小原市議の限界なのだろう。

キンピーさんの尻馬に乗ってBLOG BLUESさんという人が、党はオープンにならなくちゃいけない、というようなことを言っているが、この二人の求めているものは全く別のものだという気がする。ブルースというより、渡辺美里や大事マンブラザースみたいなロックテイストのポップスという感じ。私は嫌いじゃないけど。

ブルースは、ため息や、ぼやき、つぶやきのような音楽だ。靴にあいた穴に泥水が入ってくるようなクソッタレな現実に、「よし、新しい靴を買おうではありませんか」と言っているのがBLOG BLUESさんだ。そして「朝になれば俺はまた同じ靴を履いて仕事に行くのさ、ヘ、ヘーイ」というのが私の理解するところブルースである。

私だって、なんでやねんと思うことはある、と書きながらも、党員であり続けることを引き受けた小原市議は、まさしくブルースを唄っている。日本共産党ブルースだ。

それは日本列島のあちこちから聴こえてくる
むせび泣くように聴こえてくる
夕べの選挙結果もまた
今度の選挙結果もまた

ヘ、ヘーイ